お手紙ブログ

感情がすごい勢いで流れていく
風の強い日の雲のように次から次へと現れては形を変え、
一瞬のうちに空いっぱいに膨らんだかと思えば
すぐにかき消されて跡形もない
呆気にとられて立ちすくんだまま目で追っているうちに
雲のちぎれた隙間から小さな宝石が見えてくるどころか
自分がまるで怪物になってしまったかのように
雲と同化し際限なく膨れ上がって
カオスな空を心に写したままコントロールがつかなくなっていく
許しを請うように時間が過ぎ去るのを願うくらいしか
今自分にできることがないように思える。


世界の大混乱や、悲劇や、ピカピカと輝いて見えるような物事に、目を心を奪われてしまって
今の目の前に広がっている自分の人生のタイムラインと向き合うほうが
よっぽど大事、ということを忘れがちになってしまうこともあったりなんかもあったり。

だけど逆に、じゃあこの人生ってやつの正体は一体なんなのだろう?
って一回全部忘れてから、また一生懸命考えながら
いっこずつ、自分の中に新しい名前をつけて落とし込んで行ってみたらば
人生の豊かさや、安全の為に持っていた方がいいと言われるものや
みんなで仲良く阿吽の呼吸で持ち合わせてきた、常識と言われるようなことが
カラカラと虚しい音を立てるだけの、実は自分には別に必要無いものとわかったりする。

最低限の食器と洋服以外のものが、すっかり無くなってしまった自分の部屋には
今度はハードカバーの分厚い本やら、野草の辞典やら、釣り入門書やら、楽器やら、
身の丈にあった分だけ本気な、音楽やカメラ関係のハード機材やらなどが並び始めて
部屋に、私がそのまま投影されているようで結構愛おしい感じがする。


私は私の人生を愛せるから、目の前のあなたの人生も同じくらい大切に思えて、
それって、人の尊厳という言葉の意味なのではないかと思ったりする。
他人の尊厳を軽やかなステップで、笑いながら踏みつけにできてしまうような人は
きっと、自分の人生を愛せないからなのかもしれない。

ひとつひとつ拾い集めるしかないんだろうと思う。
拾い集めてきた輝くものを綺麗に並べて、ささやかな祭壇を拵えても
ある日どかどかと誰かがやってきて、踏みつけられメチャメチャにされてしまうこともある。
だけどやっぱりまた新しく、ひとつずつ集めてくるしかない。
今度はもっと工夫した方法を考えて、
もしかしたらそれは、大きな壁で囲んで誰にも見えない
幻の楽園にしてしまうことかもしれない。
またやってきた、心無いと思えた人さえ心を取り戻してしまうような
地上の天国のように美しい造形を目指すことかもしれない。



実はこの記事は書きかけのまま2、3日ほど進まなくなってしまって
どうしたもんかなーって思っていたものだったけど、
まるである友達の心が今少しでも楽になるために書いていたかのような内容で、
そう思えてきたら、なかなか良い文章なのではという気がして
思いきってお手紙みたいなつもりで書き直して投稿してみることにした。
読んでるかは知らないけど。


どちらにしても、私たちは人生を泡の様に感じることは絶対にない。
人を本気で愛したり、傷付いて涙が止まらなくなったりしてしまうあなただから。
それだけでも十分素晴らしいことのように感じる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。