悪魔について

お勉強の途中経過のようなお話。


シュルレアリスム(超現実主義)というキーワードで
思考を繋げていってこれからの事を考えている。
この間ある人がそのキーワードを述べていて
ずっとあった考えに近い名前を知った事がハブになって
過去に彼らが積み上げてきた時間と知性にまた触れられたのでした。



なんだか久しぶりに人に向けての言葉を今こうやって書きながら、
いつも控えめな遊びの誘いやさりげなくて優しいメッセージを
遠くからそっと投げてくれるひとの存在を思い出したり。
時々はブログに誰かに向けて自分の考え書くのは
やっぱりいいものだなと文章がほぼまとまってから思うw

こっそり、今お勉強している事をそのまま整理して
ただおいていくようなサイトを思いつきで作ったりもしました。
今は洋楽ギター弾き語りの練習用に自分で歌詞とコードと
参考になるyoutube動画をまとめたものを記事にしてUPしてるだけだけど、
綺麗にまとまってきたらそのうちリンクするかもww




シュルレアリスムについて私が感じたポイントは、
「現実離れしている状態」というシュールとは違って、
「超越した現実」という「真実」が大前提としてあるということ。

だから悪魔などという言葉を使うなら、手あかのついた
「悪そのものの象徴」というイメージではなく、
「今についてを正確に認識した上でのこれから」
という意味だと私は思うのですがどうでしょうね??
(長くなっちゃうので飛躍している書き方になってるかも)

その象徴が表すものはたぶん
ルネサンスに対してマニエリスムがあったような感じ?
たぶん音楽ならジャンルの名前が、フュージョンとかオルタナとか
結局言いたいのは「型にはまっていない」や「新しい」になっているって感じw

ふと。





なので、ずっと思っていたのは
今までに無いということや今をぶちこわすという方法では、
(心が自由になるということを目的にするなら)
また同じ繰り返しになってしまう感じがするってことで。

私はやっとそういうことを考え始めたところなので
とにかく今は大自然を余す事無く正確に見たいと望んでいます。
しかし私の感性の許す限りでしか
世界を感知できないってこともよく知っているので
これからはもっと感覚を気のせいだと思わないようにしたり、
自然に生まれてくる感情を深く洞察したりして、
真実をもっと理解するための内面の可能性を見つけたいのです。


すばらしい表現を見てもそれが内包している世界を
理解できる人と何も感じない人がいるように
小さなサインでもそれを感じ取れる感性こそが
生み出す事よりも最も尊いのではないだろうか。


私何かを作るという事をいつの間にかはき違えていたっぽい。
いつか私にとって当たり前の事が誰かにとって感動になる。






ある女友達は「女はかわいくて馬鹿な方がいいんだよ」
なんて言って親切にも我が道を行くと決めた私に忠告してくれたりする。

掃除してたら出てきた写真立てに
去年もらって帰ってきた結婚する前の両親の写真を飾った。
無邪気で綺麗で、洋服がとても似合ってるこんな母を私はあまり知らない。
この子供みたいな笑顔もたぶん見た事が無い気がする。

この写真をみて、自分がどこまで遠くへ行けるか考えなかったこと
彼女が後悔した事は無かっただろうか、
なんてことを想像してしまう私は少しだけ背徳的で
そしてまだまだ「今」とはほど遠いみたい。
足並みをそろえるとできない事をしているってことで許してね。






書き出したら止まらなくなってしまったので
いっぱい添削してまとめるの苦労したw
また書きまーす。

あと11月くらいに吉祥寺あたりで
カバー中心のライブをバンドでやるっぽい。
興味があるひとは意識しておいてください★w

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。