Piano

時間についての再考

もうずっと長いこと「忙しい」という言葉が
どうも自分の中で良い響きに咀嚼できないでおったのですが。
それについては、これからもっと自分の人生を生きるためにも、
その方向で努力するのはやめることにした。



よくメールで気軽なおしゃべりを送ってくれるお友達が、
挨拶代わりに「忙しくしてる?」って聞いてくる。
それは、自分の仕事をとっても誇りに思っているだけのことで、
決して悪い意味じゃないというのももちろん知っている。

でもそれと同時に、その言葉の意味が語る私の世界との大きなギャップを思うと
いったいどこから話したらいいのだろうか・・・って
伝えるために、たくさんある話さなきゃいけないことで頭が混乱しちゃって
考えるほどに遠くなっていく気持ちがするのです。




楽器演奏者の柔らかくしなやかな指先に見とれている時間や。
頭ぼっさぼさ目しょぼしょぼで、何もかもぶち壊しにしたくなる癇癪虫を
なんとかかんとか飼いならしながら、誰に言われたわけでもなく
ひとり理解しようとしたり、練習したりしている時間や。
ボートで漕ぎ出してごろんとん寝転がりそのままなーんにも考えないでいる時間や。
本を広げて勢いよく読み出したはいいが、一行読むたびに心に現れる
雲や香りのような面影を捕えたくて、何度も中断される1ページの間の莫大な時間や。

あの魔法みたいにグリッドのある時間を一瞬で消し飛ばす、
(と同時に鎖が全部溶けてとっても贅沢な気持ちな)
あの時間の正体をどうやって説明したらいいんだろう。
私はいつも「忙しい」の対義語は「暇」ではないと思うのです。
よくそう使われる場面が多くて私の中で死語になってしまったのかな。

為になる時間、意味のある時間、効率良く管理された時間、
胸を張れるような趣味の時間、誰も経験したことのないような特別な時間。
それと同じ瞬間に、まったく別の方向に矢印が向き、
まるで違った姿で存在する時間をきみは知っているだろうか。
同じ瞬間に「そういうのもある」ってことだけきみが知ってくれたら、
それだけで、なんとか伝えなくちゃってこんなに苦しくなることはないのにな。





ちょいと死について、一緒に考えてみませんか。
それが命に向き合っていることになるから、と伝えたい人がいるんです。
今、時間というものを再定義してみるのが良いと思う。





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