無意識の海

特に需要なさげだけど自分的に超気になるシリーズ。
シュルレアリスムというテーマで考えている事の続きです笑
というか表現の中身というよりも側面的な話だと思います。

私はシュルレアリストというとまずはじめにミヒャエルエンデの「鏡の中の鏡」の挿絵に使われているエドガーエンデの絵が浮かんだ。
一般的にはダリやピカソが代表的と言われているので、私はなんだか自分の感じている物と今受け継がれているシュルレアリスムの一般的解釈の微妙な違いを感じたのでした。

エドガーエンデとは「果てしない物語」や「モモ」などの作者ミヒャエルエンデの父である画家です。
調べていく延長上で出会った「闇の考古学」と言うミヒャエルがエドガーについて語っているインタビュー本(とても良い本)を見つけてすぐに読んでみて、ミヒャエルエンデの作品を何度も読む返す程ちびっこの頃からずっと好きだったのは、彼の中に染み付いたエドガーの思想が私にとってとても大きかったのだなとわかったのだった。

いつの時代にも表現の世界の光と闇は存在していて、ダヴィンチやピカソやダリやモーツアルトなどのスター的存在がその世界の象徴的なアイコンになっているのは、リアルタイムに時代を生きていた人達からするとそういった存在がある日突然変異のように現れたのではなくもっと複雑な時代の流れや人間同士のつながりの中で現れるべくして現れたのだという事が生身の体温を持った出来事としてわかるだろう。
そんな人達が現れた時代の背景には商業的な成功とは全く関係のないベクトルで自由自在に海を越え時間を超えかわされてきた人々の心の中に根を下ろす思想という物が存在している。

彼らは当時比喩ではなく実際にお互いに思考を濃密に交換していたのだ。
ダリが所属していたコミュニティーの中にエドガーも所属していた。彼らは共同で個展なども開きシュルレアリスムをアピールしていたのだった。
エドガーは間違いなくその仲間である彼らに大きな影響を与えた存在であったというのに、その後有名になっていった仲間達の中で彼の名前を語る人はなぜか無かったという。
当時ヒトラーから批判を受け制作活動を表面的にできなくなり、その後戦争が終わり改めて活動をする頃にはシュルレアリスムという概念はただのブームのように使い捨てられ逆にそのレッテルにより社会から相手にされなくなってしまったのだとミヒャエルは「闇の考古学」の中で述べていた。
エドガーを取り巻く人達のお話でシュタイナーなども登場してとても貴重な背景が本人による直接的な証言として読めるので小さい本だけど読み応えがあります。


私の中で年々強くなる思いとして、人に喜ばれる事をするその対価を得ながらプロフェッショナルな技術によって表現された世界と、そこにあるものを描かずにはいられないそうする以外にできなくて生まれた表現の世界があるということを忘れてはいけないのだと思う。
時々音楽業界の人が商業的成功をしている以外の表現をオナニーとかマスターベーションとかあまりに下品な表現で吐き捨てるように呼ぶのを聞くたびに、どうか自分たちが今知っていると思っている事の中にたくさんの闇にまぎれた表現者達の言葉が息づいているという事を敬意と共に思い出してほしいと願うのです。





何となく勢いで書いてしまったので読みにくい文かも。。。!
側面ではなく内側の話はまたこんど自分の言葉で。

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