自然に私が返せることについて考えた

2年半前に始めてから、まだ今もバドミントンを続けていて
もっと上手く、強くなりたいからという理由もあって
最近始めた登山は、どちらかというと自然を楽しむといより自分の体と向き合う時間だと思っている傾向が強い

とはいえ、自分があまり登山で景色を楽しめていないのはなぜかちゃんと考えてみるに
都心から車を使わずに行ける山だと、どこもかしこも杉の木だらけだからだと思う
森や土や微生物についての本が好きで読んでるせいか
人口の、管理された森にいることに気がついてしまった
だってあまりにも杉の山は生き物の気配がない
その違和感に気づいてしまうと登山をしながら感じる自然は本当の自然なのか疑問に思えてくる

本当の森の姿ってどんなんだろうか見てみたい、
植物も、そこに住む微生物や虫や動物たちが多様性に溢れた姿で生きている様子が見てみたい(昔見ていたはずなのに子供過ぎた)
そんな好奇心という欲求が湧いてくるのだった

日本の森の木々の40%は人の手で植えられたものだという
私はそれをただ反射的に否定するわけではない
でも、多くの木が必要だった戦後時代には木を効率的に育てることが重要だったとしても
今はゆっくりともう一度人の手によって本来の豊かな森の姿にもどしていくことはできないのだろうか
そんな想像はしても先人の頑張りを否定することにはならないのではないかとは思うのだ

自然の力をお借りしたら今度は返した方がいいのでは
多様性のない環境は不安定で病気に弱く、痩せていく悪循環になるという
未来の森が、何も育たない環境になってしまう前に緩やかなシフトをやっておくといいのではないかと考えながら歩いたのでした

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