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29 6月 2016

聖なるものについて

凪いでキラキラと鏡みたいに沈黙していた湖で
乱暴者の巨人みたいな気分で、浅瀬にざばっと足をつっこんで、のしのし歩いて、
足元の砂から慌ててきゃーっと飛び出してくるちいさな可愛いハゼたちをみたりした。

鼻先で、1ミリよりも小さい蜘蛛が糸をしゅっと飛ばして
体の何倍もある距離をあっというまに横断していくのを見守ったりもした。

真夜中、テントの周りで、落ちた枝をパキパキと割りながら行ったり来たりしている獣や、
バイクみたいに音でどこかに飛んでいくオレンジ色の大きな蜂にどきどきしたり。

おでこにつけるライトを買ったから、
探検みたいできゃっきゃして楽しかったけど、
試しに消してみると、目の前の自分の手さえも見えない闇の中だった。



始めのうちは、田舎育ちで培ったあの微妙な身のこなしを忘れてしまっていて
おっかなびっくり、そろりそろりとしか動けなかったのが、
1日も経たないうちにすっかり慣れて、岩から岩へ軽快に渡っても
ちゃんとバランスが取れるようになっていくっていう
自分の体の持つ本来の機能を思い出していく過程を楽しんだキャンプだった。

周りにうじゃうじゃいる大小様々な生き物のにぎやかな気配と、
隙間なく生えて最大限命を謳歌する植物たちだけの場所で、
いつか、自分がくらす東京の一角で、工事の為にコンクリートを剥がした場所が
みるみるうちに草ぼうぼうになっていくのを見ていて浮かんだ
「緑の侵入者」という言葉を再び思った。
その言葉を思うと、命というものに対して、ひっくり返った見え方になる。


自分たちが持っているイメージとは違って、
ヒト本来の身の丈っていうのは、地球上の数少ない条件的に許された場所で、
ただ死なないための社会をせっせと作っては
そこでなんとか一生懸命生きてきた歴史とも言えるなと思えた。
そのくらい圧倒的で、この体一つでは色んなことが本当はとても厳しい。



自らの感受性の世界を深く降りていくとき、
過去の人たちの感受性の探求の軌跡を辿っていくとき、
わたしたちは同じ問いにたどり着き何度もそこで出会うようだ
それは、人間の意識という、条件も印もないただっ広い世界で
ずっとずっと大昔から待ち合わせをしていた様・・


アウトドアの最終系ってどんなだろうね、
ラグジュアリーの意味ってどんなことなんだろう、
色んなことを話しながら荷物を分け合って私たちは歩く。
今の私が一緒にいたいと思える人は、そのことをよく知っているみたいだ。

私の夢(?)は何かと聞かれたら、
(自分単位なのか大きな意味でなのかもまだわからないけど)
とにかく、死なない為に生きるっていう過酷な時代を終わらせる、
という努力に参加することなんだと思う。


残った時間で自分では何ができるかまだわからないけど。


※写真は太平洋
P1000121 (1)

chiiibow

2 comments

  1. 良いね。

    自然の中に戻って、都市に暮らすとは? を、僕も見つめなおしたいな

    返信
    1. >yoshi3
      yoshi3の様に広く世界を知っている方でもそう思うことがあるんですね!
      危険なこともあるけど、得るものもたくさんあるので断然オススメです。

      返信

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