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Unexpectable ways

いったい、どこから話したらいいのだろう。
私たちは本当に同じ世界に生きているのだろうか? そんな風に感じて、
目の前の事象の対角線をえがく端と端と掴んでひっくり返しても、
この世界を知覚するぶんには、全く矛盾がないようにさえ思っているのに。


「みんな同じ法則にしたがって行動して生きているだけだから、
シンプルに考えたらいろんなことがとても簡単になるよ」

電車を待っているときや、友達と美味しいごはんを食べているときなんかに
その言葉を自動的になんども思い出してしまっては、
ちゃんと考えようとすると言葉がどこかへ逃げて行ってしまう。
私の、言葉が生まれてくるこの心は、その考え方を苦手に感じているようで
ひとつにすることや、直線に並べることや、一方向に向くことをいつも理解しようとすると
気持ちがとたんに落ち込んでしまって、世界から色がなくなったようにさえ感じる。
あと、たぶんあまのじゃくなので、ずっと昔から
その退屈な決まりごとの抜け道を探してきたのだとも思う。
必要なときは戦ったりもしてきたと思う。

人生が長くなってくると思考を言葉でいちいち自覚できるようになり始めて
自分は生きている間中それを探すというのもいいかなあ、
とかいうちょっとのんびりとした気持ちが、輪郭を強めた質量のある実体となって、
現れて、手を引いて、いつの間にか私を新しい運命に誘い込んだのを、
洞察力があって経験豊富なあなたなら雑作もなく察してくれる、はず。

頑なな私に、なんとかしてそのアイディアが燃え移るようにと、
いろんな言葉や魅力的な振る舞いで、名前を、
ずっと呼んでくれていた声があったような気がするけど。


ほんとうに、どこから話したらいいのだろう。
今、インターネット上に散らばった自分の断片を、かき集めてつなぎ合わせても
そうじゃない、って強く伝えたかったことの全貌を、急拵えで完成させるには程遠くて。
それをわかってほしいと思う方が横暴なのだとは自覚している。
だけど、その法則が私をまるで言い当ててなかったことで、私は今まで以上に私になれたから、
解り合えるか解り合えないかは実は全然重要な問題じゃなくて、
人間が2人、向かい合って存在する(した)ということ自体が、
この世界を強く表しているってことでいいんじゃないかしら、ということをまず言いたい。
そして、ここから掘り下げていけば、同じ言葉のその深度に辿り着けるはずです。

一ヶ月ぐらいの間、何回も書きかけては下書きのままになったブログへの文章は、
ぜんぶ同じことについて書こうとしたものだったのだけど
やっと未完成なままでも線を引いて更新できたのは、
白状するとちょっと急いだからです。(やればできるのだ)



嘘がほとんどの世界でも懸命に考え自分自身を生かしながら、
私には絶対に本当のことだけを話そうとしてくれたことが、
それだけが、真実だったと思ってもいい、あなたがそう信じたいなら、そう思ってもいた。
たぶんそれも同じ瞬間に存在していた本当のこと。

だけど、不思議な繋がりを心で感じられるようになったなら
感受性そのものが知性だと、いつも真実は外側にあるのだと、
もう気のせいで終わらせるなんてできなくなってしまう。


個人的な手紙のような性格の強い文章になってしまったけど、
たぶん私の頭の中の大半を占め、胸を詰まらせていたこのことについて言葉するのは
結局は私自身にとって今一番ひつようなことだったのだと思う。

いつも読んでくれてありがとう。
では、また★

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This Post Has 2 Comments
  1. それは音楽だと思います。
    人間、文字になったものや言葉になったものしか「論理」としてうけいれられません。
    また、「目に見えたもの」しか存在を信じることができません。

    でも、でも、音楽のように心に届くものはあるのです。
    「愛」と同じかも。

    1. >yoshiさん
      美しいコメントありがとうございます
      本当にその通りで、音楽や愛が、その形のない、目に見えない心まで
      届く可能性を持ってると私も信じています。
      言葉にするとこんなつまらない表現になってしまうのが残念ですが笑
      ほんとうに、真面目にそう思ってます。

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