夏休みの居残り補習

去年買ったレザージャケットの手入れを忘れていたのに
秋がなくて急に寒くなってしまったので慌ててカサついたまま羽織りながら、
今年のぶっ壊れな夏に立ち止まってもう少しだけ考えてみる。

今、ダルコ・スーヴィンの「SFの変容」という本を読んでいて
絶版になっていて、今はネットで中古しかない本で10,000円くらいするんだけど
なぜか無性に気になって買ってしまった。
彼曰く、哲学や政治経済、自然科学、テクノロジー、
人間という現象を深く正確に理解する素養がないと
本物のSFを描くことはできなくて、
そんなバックグランドがない作品は全てファンタジーと呼ぶのだという考えに深く頷いた。

私という人間を表すのに
自由主義という言葉がふさわしいかはまだわからないだけど
私が生まれた時の日本の環境は歴史の中でも
もうすでにその基盤ができつつあったからなのか
北海道という場所と、自分の子供に関心がないらしい
完全な放任主義の両親の元に生まれたからなのか
私の中に根付いている文化というのは
別の文化を持つあの人の目を借りると
感情や心という最も心許ない針が導く地図で、
この人間社会という荒地を旅する非合理的な人に見えるのだろう。

私はここ最近ずっと、いくつも存在する正しさについて考えている。
(考えること自体が生きる上で意味がないように君は笑うが
真剣に考えて生きていると、時々心だけで誰かと強く繋がれることがあるんだよ。
ばったりと地下鉄のホームで出会うかもしれないし
地球の裏側の人かも知れない。
その素晴らしさを君にもうまく伝えたかったのだけど。)

人間の人生は
全体のための自分であった
ひとりひとりが利他的であることで全体が進化してきた
これまではそれが機能してきたのだと思うのだけど
これからもそうなんだろうか
インターネットやAIの時代になってもまだ続くのだろうか
心は生産性の犠牲になり続けるのだろうか
(「犠牲」なんて書くとまた浸っちゃってる感じがするかもね)

でも。
悲しみや痛みもネガティブだと排除しないで味わう
全部深く味わうことが大事
心を大きく育てて太古の蛇が龍になっていく
木が年輪を重ねるように、人間の脳もそうやって進化してきたんだって知って勇気が湧く。

ダルコスーヴィンに話を戻すと
自分がみている世界をそのまま信じないこと、
疑問を抱いて生き続けることが本物のSF(反対言葉ゲームみたい)を描く精神には必要で
それが多くの詩人や発明家や起業家や革命家の魂にもあって
その視点が新しくて名前のない要素「ノヴム(novum)」を社会に取り入れると言っています。

すべての正しさを包み込む優しさを
君と一緒に発明できないかという夢を見ていたから、
まだここでぶっ壊れた夏に立ち止まって、もう少しだけ考えてみています。


This is my power my sinっていいな

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